一時間の浪費をなんとも思わない人は、人生の価値をまだ発見してはいない。
A man who dares to waste one hour of time has not discovered the value of life. Charles Darwin

= 5 表現の自由と宿命 =

【自らの運命を受け入れる表現】

 

 美しい芸術は強く、深く、創造的なものであり、どんな人間の生活でも、興味をそそり、いとしむべきものに変えることができます。どんなに惨めな生涯でもそうです。

 

 長い人生においては、偶発的な悲劇に見舞われることもあるでしょう。自分にふりかかってきた不条理な出来事に対し、「何故、こんなことが起こったのか?」と呆然としていると、その不幸な出来事しか見ることができません。その悲劇に対する「怒り」をただ感情にまかせて表現する自己満足だけでは、通俗的なものしか生まれず、過去からの苦悩から抜け出すこともできません。

 

 世の中に目を向けて、「人々に何を伝えればよいのか?」を明確にし、何時間も考え続ける深みの中で、自らの気持ちを謙虚に整理してゆく。あなたが有する表現の自由の権利は、自発的なものですが、あなた自身の物語を創造する契機、自らの体験を語るための手段になり得ます。

  

【真実の告知】

 

 芸術的な表現を試みる際、私たちは自分の身にふりかかった過去をふたたび蘇らせ、自らの運命・生い立ち・時代の精神などをすべて受け入れた上で、複雑な社会構造や人間心理を掘り下げながら、自らの心境を正直に、注意深く告白してみる。

 

 うわべの表現だけを求めても美しい芸術は生まれず、少しでも気が引けて大切なことに触れないでいると、真実は姿を見せません。たとえ、それが犠牲を伴う苦痛な真実の告知であっても、実質を捉えるがゆえに作品に迫力が生まれます。

 

 迫真に迫る創作を通じて、あなたの心が過去から現在へと結びつけてゆくと、気持ちが解放されて軽くなるばかりか、あなたの思い出が作品内で精神化されてきます。

 

 自分自らを通して、みずからが提供できるものを通して思考の中に、感情の中に、意思の中に、すなわち人間の心全体の中に溶け込むことのできるような、美のあふれる生気は、美のエスプリ(直感的な叡智)として作品に宿り、「美しく生きるとは如何なることか?」と、鑑賞者らに突き付けることになるでしょう。 

 

 

【相反する感情の余韻】

 

 心の世界における人間の自己意識は決して孤立した存在ではなく、それぞれが両極的な性格を有する6つのマインド機能(直観と思考、精神と集団、肉体と愛情)と共存しており、そのどれもが自己意識にとっては、尊ぶべき感覚といえます。

 

 個々のマインド機能が必然性によって動くと同時に、互いに相依って成立しているが故に、機能自身の中に否定の契機を含むことによって心の世界は成立している。

 

 自己意識はそれらの機能と結び合って、決意や考え方という単一の分割できないものを作り上げており、何か確固とした決意をもって表現に臨んだ場合、相反する感情による割りきれない気持ちが残ったりします。例えば、直観的な確信に従うため、思考の合理的な意見を却下する、あるいは、集団の利益を優先するため、個人的な愛をあきらめる、という具合です。

 

 この心の在り方そのものが全人格的統合感と言えるものであり、傍観の痛み、切ない諦め、あるいは、激しい懺悔を抱き、それらの思いをすべて受け入れるからこそ、私たちの自己意識は、過去の思い出を自らの信念をかけて表現し、自らがこの世に存在する意味、運命を規定する決定的なものを作品に映し出そうと努力を重ねます。 

 

 そして、一度苦悩を克服して、その経験を客観化することができた者は、必ず何らかの知恵をそこから得ている。

  

【自分の名を世に告げる】

 

 「どのような作品を展示することで始まりとし、何を表現することで満足とし、何をもって終わりとするのか?」 自らの作品を発表し、人々の反応を確かめながら、どの様に自分の気持ちに折り合いを付けてゆくのかを、自分なりのやり方で決めてゆくのが、表現の自由と言えるもの。

 

 自らの生活を作品の中に取り入れて表現し、世の中に働きかけることが重要であり、自らの尊厳をかけて作品を創り上げたなら、自分がよしとし真であると認めたものを社会に問いかけて、あなたの内なる意志・見解・思想を表明して下さい。

 

 あなたの命は有限なものとしてやがて消え去りますが、追いかけ、悩み抜き、こだわりある表現から出てきた言葉、奥底に眠っていた本能的結論は、たとえ、それがささやかなことであっても、あなたの力強い生命力と尊厳を映し出し、人々の共感を呼び、生きる勇気を与えるでしょう。「自分の作品を展示することで、わずかであっても世界が違うものになるよう人生を生きた!」と感じて納得できれば、申し分はありません。 

 

【現代感覚をつかみ取る】

  

 真実が響く作品の展示は、あなたの意志を同時代と後世の心に伝えるため、自らの作品に対する他人の意見や評価を把握し、今の人々や若い者たちは、どういうふうに、また何を教えて欲しいと思っているのかを究明することが大切になります。

 

 

 あなた自身の気持ちと人々の気持ちとがつながり始めると、ものごとを見通す能力が高まり、人間社会の内奥と、言葉や行動の背後にある特筆すべきものを見透かせられるようになります。人々の現代感覚をつかみ取ったなら、作品の発表を通じて社会とかかわり合う意味をもっと探りつつ、新たな作品の展示が外部に及ぼす影響を考えてみましょう。

 

 芸術はたとえ言葉で言い尽くせない内容であっても、象徴的に最高度に美の尊厳を含む意味内容を示し得るのであって、現代人の感覚に訴えることができれば、あなたの運命、作品と生活との中の断定は、個人の感情をはるかに超えて影響を及ぼし、人々の良識、性格、将来を決定する力を帯び始めます。

 

 あなたと同じような痛み、思い、価値、そして希望をもつ人たちとの共感が生まれると、志を共にする可能性が生まれ、あるいは、あなたが諦めから実現させずにしまった悲願を若い者たちの手に託すことができれば、あなたという自己意識の存在に深い意味を与えことにもなります。 

 

【自分自身を探る人生】

 

 表現の自由の意義は、行為の中にではなく、あなたの心の中にあります。心の中にひそかに生まれようとするものについて、その成長を傷つけないために沈黙を守り、誰にも打ち明けない時期があるかもしれないものの、一旦、重苦しい沈黙を抜け出して、社会に対し「自分は創作を通じて何ができるのか?」を試したのなら、今度は、「自分は何者であるか?」を探求する段階に入ってください。   

 

 芸術は作品の中に何かしら自分の似姿を登場させ、物語を創作してゆくもの。そこに刻まれた自分の永遠なる姿を客観化して見ることで、自身の改善すべきところを自覚する一方、自己成長を課題としながら、現実の社会を真摯に受け止めて、美的、道徳的、文化的義務を感じ取り、自らの人生に向き合うということになります。

 

 自らの姿を作品に刻みこみ、力強く守り育てる中で、作品内に表現される意味、真実、何かしらの前向きな教訓が宿り始めると、それはあなた自身がどういう存在であるかを教えてくれ、あなた自身の道(使命)へと導いてくれるでしょう。 

 

【創造的な人間の生涯】

Defeat in this world is no disgrace if you really fought well and fought for the right thing. Katherine Anne Porter
ほんとうに正しいことのために戦ったのなら、負けても恥じることはない。

 

 生命の繁栄を支える表現には、自然に近しい鋭敏な感覚があり、有機的生命に対して共感を抱き、自らが得たものを表現していると、自然な直観が現実感覚の限界を乗り越え、より深い示唆を始めます。

 

 もっとも崇高だと思える力に全身全霊をゆだねながら、自らの名を刻印した作品を発表して、社会の美しい面や喜ばしい面を汲み取り、しかも暗い面についても知識を持ち、そういう裏側に見られる多くの醜悪な事柄からも目をそらさない。

 

 もっとも深い本源的な美の力に導かれる精神的な体験の中で生まれた作品は、美の守護として人間に働きかけると同時に、あなたは芸術理念を自分で生み出したと感じ、我が子を愛するように理念を愛する。芸術が倫理行為の動機となり、作品の創作を精神的に喜ぶことが道徳の源泉に人々を引きつける源となるのである。

 

Even if our efforts of attention seem for years to be producing no result, one day a light that is in exact proportion to them will flood the soul. Simone Weil
たとえ歳月を重ねた奮闘努力が、少しも報われないと思えるときでも、いつの日か、その努力にちょうど見合うだけの光が、あなたの魂にみなぎるものです。