美しい自然に触れて自らの健康な肉体を大切にし、ありのままの心に向き合って美しい芸術を創作すると、自らの美意識がみずみずしくなります。それは清々しい大自然の癒やしに感謝し、朝と夜に繰り返される輝かしい景色の中で感受する「持続可能」という素朴な感覚と言えるもの。
日本に伝わる「美意識」は、閑寂の中に奥深さや豊かさを、また、枯れ草に趣を感じとったりします。長年の変化によって、自然物はさびれたり、枯れたり、ほころんだりしますが、それらの変化は自然の摂理に適ったもの。
人類は自然の摂理に適った環境下で進化してきたので、私たちの感性は、自然の営みが織りなす、多様で独特な姿に美しさを感じることができます。たとえ秋に山草が枯れようとも、私たちの感性は、次の春には山草の芽が出て生い茂り、豊かな緑の恵みが引き続き人々にもたらされて、子孫の繁栄が保証されるというサイクルを理解しているからです。
エスプリ画を通じて心の世界を描くことで、私たちの自己意識は、6つのマインド機能(直感、精神、思考、肉体、愛、思考)を自然な働きであり、また、それぞれの機能が異なる性格を有しているものと感じることができます。
それら内的機能の働きをエスプリ画を通じて明確に認識することで、私たちの自己意識は、心のバランス感覚を身につけて、健全な判断ができるようになります。
このバランス感覚の取得は、多様性ある世界に調和を導く上でとても重要です。本来、人間の欲求は自然なものですが、一つのマインド機能の欲求ばかりが他のマインド機能に抑制されずに肥大してしまうと、不調和の原因となる醜が生まれるからです。
たとえば、ある女性の自己意識が愛情機能(愛されたい)を働かせて、夫の子供を献身的に育てているとします。彼女の姿が美しいのは、それが家庭にとっての安心や生命繁栄につながる有益なことであり、彼女の生き甲斐や喜びにもつながるからです。
しかしその後、夫が別の女性と不倫をするようになり、それに憤る妻の愛情機能が、夫の愛する娘に対してあてつけに虐待を始めるとどうでしょうか?
この時、彼女の直感機能(悟りたい)や精神機能(社会貢献したい)は、彼女の愛情機能が先導する虐待行為を止めるようにと彼女の自己意識に訴えるはずです。しかし、妻の愛情機能が怒りにまかせて肥大化してしまい、彼女の自己意識もそれを抑えられずに虐待を続けるようであれば、彼女は生命の繁栄を脅かす醜い者となってしまいます。
いつの時代でも、一つのマインド機能に執着すると、心の世界に幻想が生まれ、その幻想によって自己意識は「きっとうまくいくだろう」と当マインド機能の声を正当化しようとします。執着によって何が現実かを冷静に見れなくなってしまうため、当の自己意識は正しく考えることも正しく判断することもできなくなります。
一マインド機能に執着した自己意識が、狭い了見の中で、物事を回そうとすると、多くの禍や悲劇を作り出します。たとえ、夫の不倫のような重大なでき事が原因ではないとしても、一マインド機能の些細なこだわりによって、人生の大きな道を誤らせることすらあり得ます。
一マインド機能の幻想は、社会の暮らし中で生まれるため、まずは、人々の心の世界に興味を持ち、日常生活の諸々の細部に宿る美しさや醜さを感じ取ること。 他人の心の世界にある欠点は、必ず自分の中にもある。
心の動きに現れた不審な点を社会の風潮に委ねて見過ごしてしまうのではなく、あなたの美感によって、醜さの原因をつきつめて表現すれば、時代のよくない風潮、民族の悪習慣、社会制度の歪みなどの問題点が如実に表れてくるものです。
よって、自分の感性で今の人間社会を読み取り、現代人の心の世界の様子を観察して、表現して世に問うという姿勢をもって、作品を展示することは、今の社会制度を悪用する醜人たちの不正を抑制する力になり得るのです。