やましい心には罪の告白が必要である。芸術作品とは告白なのだ。
A guilty conscience needs to confess. A work of art is a confession. Albert Camus

= 10 醜い芸術の量産時代 =

教育の危機は教育の危機ではなく、生命の危機なのだ。
The crisis of education is not a crisis of education, it is a crisis of life. Charles Péguy

【醜を美として容認する】

 

 20世紀の哲学者ミッシェル・フーコー(フランス)は、「自己への愛着こそが狂気の最初の徴表であり、人間が自己に愛着していればこそ、人間は過ちを真実として、嘘を現実として、暴力および醜さを正義および美として容認するのだ」と告げました。 

  

 彼の述べた「暴力および醜さを正義および美として容認する」とは、どのような意味でしょうか? ここでは、醜・悪・偽の性質から、考えてみましょう。 

 

【狂気に駆られたスキーム】

  

 歴史上、国家システムの中で悪人たちが私腹を肥やし、貧しい民衆の不満が高まった場合、権力者が民衆の怒りの矛先を変えるため、隣国(他民族)を激しく批判して、外交紛争や戦争を引き起こすことがありました。

 

 魂の抜けた悪人たちは、疑いの目を向けてくる善良な人々を見下しつつ、「国内の疲弊は隣国が原因だ!

」と主張し、善良な国民や純粋な青年たちに魔の手を伸ばして戦場に送り出す準備を始めます。

 

●偽の魔手:「破壊兵器を作って、金を儲けてやる」              【研究・製造】

       ⇒ 高額兵器の製造(戦争に勝っても負けても、金さえあれば逃げられる)

 

●悪の魔手:「非常事態宣言をすれば、戦争体制を作り上げられる」          【政治・行政】

                        ⇒ 偏狭的馬鹿を利用し、冷酷な独裁者・将校を育成(戦争責任をなすりつける

 

●醜の魔手:「戦争に反対する国民は、邪魔なので排除してやる」        【報道・芸能】 

       ⇒ プロパガンダの推進と情報操作(反戦者に罪を着せ、悪者に仕立てる)

 

【美意識の大量破壊】

自己への愛着こそが狂気の最初の徴表であり、人間が自己に愛着していればこそ、人間は過ちを真実として、嘘を現実として、暴力および醜さを正義および美として容認するのだ
When love to oneself is the insane first sign table, and man makes the love oneself, man, a fault, a lie is approved as actuality and violence and ugliness are approved as the justice and beauty as the truth.

 

 既存の国家システム破壊を目論む悪人たちは、「悪の命令」を次々と出し始めます。プロパガンダを通じて醜い芸術(生命を破壊する芸術)を量産し、戦場の暴力を「正義」、生命の破壊(醜)を「美」として国民的な英雄を創り出し、大々的に宣伝する。その印象操作と同時に、敵を憎むような報道を何度も何度も繰り返し、純粋な青年たちの愛国心を煽ります。 

 

 一方、敵となった隣国に潜む悪人たちも、同じことを始めます。両国の悪人たちは兵器製造の特需により私腹を肥やし、今までの鬱積を晴らすかのように欲念をエキサイトさせる。そして、「民衆の苦しみは隣国のせいだ!」とかん高く興奮した声で喧伝し、外交紛争を意図的にこじれさせるため、戦雲が垂れ込めます。

  

 ※プロパガンダとは、特定の思想によって個人や集団に影響を与え、その行動を意図した方向へ仕向けようとする宣伝活動の総称。 

 

【終曲;醜の実存化】

 

 両国の悪人たちは、青年志願兵を集める一方、自社工場で兵器の生産を終えて、大金が手に入ると第3国に不動産を購入。敗戦した場合の逃走支度を終えてから、国家の非常事態宣言を発令し、国民の言論や集会、出版などの自由を一切制限して戦争の準備を整えます

 

 その宣戦布告の日、悪人たちは、「多くの爆撃を通じて、戦場にいる野生動物たちは死ぬだろう、そうなっても仕方がない」という未必の故意を抱くことで、「醜の意思」を明確にします。

 

 実際、戦闘が始まると、激戦が続く中、海・沿岸・草原・川・森・山・湖など、あらゆる環境の生態系の破壊が進行し、数え切れないほどの野生動物たちの「命」が消滅してゆく。そして、戦争に係わった人間たちは、美しい自然や生態系の破壊活動を通じて、つまり、自身の生存欲求が満たされず、また、子孫の繁栄が保証されない破壊行為を通じて、美的感覚の麻痺を進行させていきます。

  

【望みなき悲惨な戦い】

Toxic Masculinity
Toxic Masculinity

 

 一方、戦場の青年兵士たちは仲間がどんどんと戦死する絶望の中、偏狭的な将校から何度も何度も突撃を命令される。プロパガンダに煽られ英雄にあこがれた兵士らの自己意識は、勇気を示す以外の感情表現を知らず、戦況の悪化とともに死に恐怖すると、心が混乱してきます。

 

 やがて、戦況が長引く中で兵士らの自己意識は、暴力だけが支配する現実に呆然とし、この戦いに英雄がいないこと、大義がないことを悟る。(映画のように、激しい戦火に飛び込んでも無傷な英雄などは存在しない)

  

 ある兵士は自暴自棄となって、さらなる突撃戦に挑み、また、ある兵士は戦場から逃げ出し、「醜の意思」を抱いて関係のない市民を攻撃し、世の中の混乱を助長してしまいます。

  

【大義なき感覚の戦い】

 

 国家システムの中で、一部の悪人たちが私腹を肥やし、経済を悪化させたことが原因で、悪事の証拠隠滅と私財保護の動機が生まれる。そして、「悪の命令」を発する悪人たちは、醜い芸術の量産によって善良な人々の美意識を破壊し、戦争を仕掛けて国民の権利、自由、そして命までもを犠牲にし、さらに、多くの野生動物までもを殺傷し、世の中を混乱させて、自らの安泰を図る。

  

 この醜の極みは、純粋な青年たちを操る悪人たちが、操られた青年たちが世の中を混乱させるほどにほくそ笑み、面白がるところにあります。この「美意識の欠損」から生まれる悪人の道徳心のなさが、戦争の企んだので、当然、その戦いに真っ当な「大義」はありません。  

 

【共同生活⇔道徳心】

 

 原始の時から集団で暮らす人々は、平和、つまり、「共同生活の安泰」を願い、「道徳心の養成」を図ってきました。それ故に、悪人の自己意識が抱く「道徳心の欠如」は、共同生活の破壊」に直結する性質にあります。

 

 一方、国家における共同生活の実体は、生産・運搬・交換・消費・廃棄・リサイクルといった営みにて構築されており、この営み自体は、どのような国家体制(神権政治、君主政治、民主政治、共産党政治など)であっても存在します。

 

 つまり、どのような国家の権力者でも、放蕩に耽って美的感覚を歪ませた挙げ句、不道徳心を抱くようになると、国家システムの腐敗を促進して、大なり小なり戦争の芽を生み出すと言えるでしょう。