通常、私たちは子供の頃、故郷の土地に共有された文化的な価値判断や法のルール(外的基準)に実直に従って育ちます。けれども、美・善・真の探求を通じて、自らの価値判断(内的基準)を強化する中で視野を広げていくと、社会的基準と自らの内的基準を対比する心理のあやが生じてきます。
人間の澄んだ心が感じる美・善・真の価値観は純粋なものですが、世人の抱く価値観には多くの不純物が混じっているからです。さらに、私たちの健全な自己意識が美的感覚の鍛錬を通じて、その視野をより深くより広くし、感性的な理解力を高めていくと、やがて、内界と外界とを天秤に掛けて宇宙全体を感じとれる時期がくるでしょう。
特に、エスプリ画の創作を通じて、自分自身の内部に働くマインド機能の働きは自然の力にほかならないと分かったとき、心を自然と共有している、と思えるようになります。自然の法則性が自分とは異質の力であると思っている限り、自分は独善的だ、と感じてしまうでしょう。
自然の本性の中に深く入って生きるなら、その本性の力が自分の内部で働いているマインド機能に影響を与えていると思え、自分が命の生成に生産的に関与していると感じられるようになる。
このような認識を通じて、自分の自己意識がより高次に進歩し、マインド機能の存在する次元までも超越する領域に入ると、「宇宙における個々の活動には何らかの関連性が存在しており、すべてのものは一つの調和の中で美しく輝く」と達観できる境地に至ります。
人間の自己意識にとって認識とは、事物の本質に照明を当てる光を灯すことであり、創造的に成長を遂げると、心の世界にあるマインド機能が、美(直感・肉体)、善(精神・愛情)、真(思考・集団)と深く関係して、人間社会にて芸術、哲学、科学の活動を促している事実を理解できるようになります。
それは、内界の働きと外界の働きとが同時に存在する空間全体に関する一つのヴィジョンを得た境地、生命は安泰であるという直感的な感覚が深まる絶対美の境地、と言えます。
私たちの自己意識が絶対美のヴィジョンを得ることは、すべての世界考察のための真の出発点を自分の心の中心に見出したことになり、事物の領域を確かな足取りで歩めるようになります。
自分自身の内にある自然を考察し、事物との真の関係を取り結ぶことで、生命の本質的な意味を悟り、心の世界に価値序列(美>善>真)を築くこともできるでしょう。
◆美の価値:生命の繁栄
◆善の価値:世界の平和
◆真の価値:文明の発達
たとえば、美と善の関係について、本質的に考えてみましょう。
(本質;小さな例外は捨てる)
地球生命の繁栄(美)は、大自然の豊かな恵みを人類にもたらすことで世界の平和(善)の発展に貢献する。一方、世界の平和(善)によって人類が繁栄したとしても、公害や食糧問題を引き起こすなどにより、地球生命の繁栄(美)に寄与するとは限らない。故に、美>善となる。
このような美・善・真の価値序列を理解したあなたの自己意識は、美・善・真の本来的な意味を理解できるようになります。
美・善・真の意味を悟ると、次のような3つの大きな義務を覚えるようにもなるでしょう。
◆生命を繁栄させる義務
「美しい芸術」を創造する表現者は、感覚的に知覚できるものを精神の高みまで引き上げて自己を啓示する。その作品は生命の尊厳を称え、尊重することで、社会道徳を牽引する。
◆世界を平和にする義務
芸術作品が「美しい行動に励みましょう」という道徳的な要求を人々に課す。人々はこの倫理観を抱き、自然に従う形で社会のあり方や国家の仕組みを模索して、「善い哲学」を発展させてゆく。
◆文明を発展させる義務
美しい芸術を出発点とし、善い哲学を土台に据える良識あるルール作りの中で、科学技術のあり方について検討し、「真の科学」を発展させることで、健全な文明の成長を支えることができる。
我々人類は、何に根ざしており、どのように進むべきか? この答えを美しい芸術から得られる「美の知恵」が教えてくれます。地球の美しさや人々の美しい行動が生命の繁栄につながることを芸術的に解読、体得することで、あなたの意識は芸術・哲学・科学の活動の運営が正しい方向へと向かい、歩む必要性を感じ取るでしょう。
それだけではなく、エスプリアートを通じて心の世界にある命の躍動を感じ取ることで、もろもろの原因や条件の連鎖の網によって、相依って起こる自身の心の実相までもをつかめるようにもなります。
混迷する世界に存在するあなたの自己意識は、無秩序になりがちな自身の心の世界の統率に取り組まねばならず、その際、美しい芸術から得られる「美の知恵」は、あなたが何を生かし、何を手放すかを選ぶ理由を知るための手助けをしてくれるでしょう。