= 3 芸術が制度を評価する =

【人類の進化と人間性の進歩】

 

 私たち人類は進化の途中にあり、国家のシステムや人々の意識もまだまだ発展途上の段階にあると言えます。世界の歴史を学んだ時、私たちは中世の人々が奴隷の身体を鎖で縛り、鞭を打つという野蛮さに恐ろしさを感じますが、30世紀に生まれた子供たちが今の時代の歴史を学んだ時、私たちの人間性をどのように評価するでしょうか? 

 

 現代人の中には、「法のルール」に従って外見的な野蛮さは抑制していても、「心のあり方」として他人の心を鎖で縛り、鞭を打つ様な凶暴さを持っている者、あるいは、命の尊厳を粗末にする醜い者が散見されます。  

 


【道理を探る意識】

Evil  vs Crime
Evil vs Crime

 

 私たちは、同郷や同世代の人々、あるいは家族などが虐待やハラスメントされている姿を目撃すると、平等、正義、愛、幸福などの価値や意味について深く考えるようになります。このような体験を通じて、人間は理想の世界を心に思い描くため、人々の理想は大なり小なり、「現実世界の改造」を想定している、と言えます。 

 

 実際、社会をより良くするために理想の道を歩き始め、自身の心に向き合って、物事の道理を探ると、「美しさとは何か、善いことは何か、真実は何か?」と思索する様になるでしょう。そして、美・善・真の探求を深めるほど、醜・悪・偽の本質を見抜けるようになってきます。

 


【法の樹木の害虫】

 

 民主国家にいる醜人たちの「行動の根拠」は法律の条文であり、彼ら法律のルール(外的基準)を自分たちに都合よく運用しようと、悪行を重ねます。それでいて、彼らは順法精神に欠け、「他人にばれなければ何をやっても良い」という邪心もあるので、法に反する不正を行い、それらが内部告発によって発覚する場合もあります。 

 

 立法・行政の枠内で「忖度」と称して、得意顔で立ち振る舞っていたにも拘わらず、自分の立場が不利になれば手のひらを返して、なりふり構わずに逃げ回る。権力に近ずく醜人らは、道徳的な価値観(内的基準)も法的ルール(外的基準)を尊重する精神も有しておりません。ただ場当たり的な知見と裏情報、そして、身内びいきの権力に頼ってせかせかと活動しているにすぎません。

 

 彼らは、国家の「法の樹木」に穿孔する害虫であり、これを放置すると、かつて、勇敢な人々が、自らの命を捧げて戦い、革命の末に育て上げた法の樹木(民主主義の象徴)は枯死に至ってしまいます。

 

【芸術が民主主義を評価する】

 

 現今の民主国家では、モンテスキューが唱えた三権分立によるチェック&バランスが正常に機能している、とは言いがたい状態にあります。よって、私たち市民は芸術の目を通じて、三権のあり方を監視し、国家の運用に関して、セーフガードとしての役割を担ってはどうでしょうか?

 

 地球は自然を営む美の力によって守られており、自然に近しい美の感性は、鋭い直観を持っており、他人の書いた文字や発する言葉の中に真実と虚偽とを見抜きます。

 

 

 そのような美の感性を信じて、現代国家に暮らす人々の生活を見極め、芸術的な表現に励むと、国家の営みに内在している重要な問題、例えば、民主主義の思想的な課題、構造的な統治制度の欠陥、芸術・哲学・科学の立ち位置などが浮かび上がってくるでしょう。

 

立法:国家の営みに統制をかける 

      【ルール:政治家】

 

行政:ルールに従い運用システムを構築する 

   【システム:官僚】

 

司法:人や組織の違反を罰する 

   【ジャッジ:裁判官・陪審員】

       ↑

芸術:3権の機能の逸脱をチェック

   【セーフガード:芸術家】 

 

 *誤解のないように付け加えますと、ここでの監視とは、政治の野党勢力のように、枝葉末節な部分を含めて国策や政見に反対するという事ではありません。このような取り組みは、野党が権力抑制や政策修正などを目的に行えばよい話です。

    

The real voyage of discovery consists not in seeking new landscapes, but in having new eyes. Marcel Proust
発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ。

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