=   2 美と醜の戦いを始める =

【芸術上の理想の実現】

   

 生命の美を体現するために、積極的に必要な行動をとりましょう。 

 

 人間はどんなに異なる形姿で生まれようとも、そのすべてが一つの自然全体から生じており、人間自身の内部にある衝動は生命全体の営みの一環であるが故に、私たちは内からの働きかけを純粋に表現することで、自然に準じた調和ある世界を作れます。

 

 内からの働きかけに向き合う個人的な芸術創作だけにとどまらず、ひたむきな芸術普及により、個々の芸術家が内なる衝動と共に歩み続ければ、人々の共感は川のように流れ、美の思想を育み、自然全体のために働くようになるでしょう。

 

 私たち人間も地球の生態系の中にある生き物である以上、健全な動物性を有さねばならず、人命ばかりか、多くの野生の命を奪ってしまう戦争爆撃、さらに、それらの状況を作り上げている醜い権力者たちの感性の異常さに気づくべきです。

 

 

【地球を守る感性】

 

 美しい世界にこそ人間を含む生命の根源があり、自らの内に感じとれる生々しい感覚を精神機能を通じて言葉にすれば、

 

 ・人間性とともに永遠のものはなにか?

 ・単に一時代の社会形式や付属物にすぎないものはなにか?

 ・人類が死滅する方向に向かうのはなぜか?

 

 という問題が今日提起されている事実を認識できるはずです。

 

 自律的に流れている自然の摂理は、生命そのものの美の問題(繁栄)であって、単に人類だけの問題ではありません。自然の生態系を破壊する方向へと向かう醜い勢力に対峙しなければ、緑豊かな地球にある美の懐胎力と生命の持続力は失われてしまうでしょう。

 

 醜い勢力の残虐な行為や自然破壊に関して、それらを美しい芸術によって人々に伝えて、注目を集め、「これはやってはいけない。」という例を示すメッセージを世界中に送り、何が醜い行為なのかを明らかにしていきましょう。  

 

【表現から生まれる新秩序】

  

 「善と悪の戦い」を止める意義は、差別に満ちた民族感情の温床を取り除くことで、国家間の争いを止め、互いの価値観を認め合って多様な世界の調和を目指すことにあります。一方、「美と醜の戦い」に挑む意義は、世界中の芸術家が団結協力して、それぞれの国家に潜む醜い勢力に対峙して、国内の不正問題を個々に暴き出していくことにあります。

 

 これは、それぞれの民族に宿る歴史的観念を放棄し、世界的な新秩序を構築する大きな歴史的転換といえます。そのためには、いかなる人為的圧力や暴言にも屈せず、いかなる不正な指図も受け入れず、いかなる恐怖にも怖気づかず、決然と新たな秩序を求める必要があります。

 

 それぞれの国家に暮らす人々は、これまでの社会常識を疑う中で、上下を問わず、敵味方を問わず、公私を問わず、大人子供を問わず、醜い人間の行為に対しては、芸術を有して決然と対峙し、自分の表現が招く結果を見通しながら、自身の創作(ミーアーツ)に取り組みましょう  

 

 芸術の表現を介して、良識ある人々が家庭・学校・職場・地域などにおいて、情報を共有し、団結して戦う。醜い親による虐待、醜い中学生によるいじめ、醜い上司によるセクシャルハラスメント、醜い官僚や政治家による不正を防ぎ、罪もない弱い立場の人間が精神的な苦痛を与えられるのをやめさせる風潮を作り出す中で世の中の調和作りを始めましょう。

 

【美しい芸術の神髄】

   

 美しい芸術の礎台は、勝ち負けにあるのではなく、守ることにあります。あなたが守りたいと思う美しいものを見つけたなら、表現の自由を通じて人々に伝え、その輝きを描いた作品に自らの名を刻む。

 

 一人一人が、自分の素質に応じた仕方で創作を進め、経験したこと、見たこと、聞いたことを独創的に表現して、伝え合い、大きな共感にすることで、あなたは自身の生の意味を深く感じ取れるでしょう。 

 

 人類全体の統一した目的に自らの使命を関係づけることで、その自己意識は、個人から人類、人類から生命全体へと広がっていき、その結果、表現の自由と共感の上に「醜」への対抗力のある美しい地球の秩序を築くに至るはずです。